講座001 時間、暦について考える

第1回 1日という時間の区切り方

豊かな自然に囲まれた環境で生活していると、時間の経過、季節の移ろいが見事に私たちの接する日常の景色の中に反映されていくのを目にすることができます。


たとえばここ上谷町では、春になると美しい山桜をそこかしこに見つけることができますし、ブッポウソウが元気良く飛び回り始める時期に一斉に始まる田植えには初夏の訪れを感じる人も少なくないのではないでしょうか。


梅雨の時期には蛍が清流に飛び交い、夏には蝉の鳴き声と豊かな緑が山々に映えます。稲刈りを終える頃、徐々に色付き始める山の木々は実り豊かな秋の到来を予感させ、紅葉に彩られた美しい季節が過ぎ去った後には、雪景色が冬の寒さを告げてくれているかのように銀色に光ります。


私たちはこのように巡る四季の中で生かされています。さらにいえばこうした季節の営みが繰り返されることを前提として考え出された様々な知恵の上に、私たちの生活は成り立っているということができると思います。


農業を例にとって考えてみましょう。広島県の5月と10月の平均気温はほとんど同じなのですが、10月に田植えを行われる農家は基本的にはないのではないでしょうか。10月に田植えをしても、徐々に気温が低くなっていくなかでは稲が充分には育たないと知っているからです。


もちろん、温度だけが稲の成育に関係しているわけではありませんが、このようなことが行われるのは、短い期間では似ているように思える環境も、もっと大きな枠組みの中ではそれぞれが全く違った役割を担うものであると認識しているからです。


つまり、私たちは時間の中で生きているわけですが、その時間を上手に区別して整理し、そして利用しているわけです。時間は絶え間なく流れ続けているわけですから、本来どこに目印をつけてどのように整理しても良いものです。


これから3回の講座で、普段私たちが当たり前のものとして利用している時間について考えてみたいと思います。


先人たちが利用して生きていた時間の枠組みと比較したりしながら、私たちがどのような枠組みでとらえた時間に生きているのかということを、改めて考えるきっかけになれば幸いです。


さて、第1回目の今回は、1日という時間の区切り方についてです。


現在私たちは午前0時に一日が始まると、それを24等分したものを時刻として使用しています。しかし、明治6年に現在の時刻制度が採用される以前は一日を12分割して過ごしていました。


一日の始まりは、太陽が昇って来る時でした。この時間を「明け六つ」と呼びました。どうやら時間を知らせるために太鼓を6回叩いて知らせたことからこのように呼ばれたようです。


では、「六つ」の次は「七つ」へと増えるのかというと、そうではなく、「五つ」「四つ」と減っていきます。そして正午になると今度は「九つ」に増えて、そこからはまた「四つ」に向けて減っていきました。そして現在でいう深夜0時辺りにまた「九つ」になるという仕組みです。


太陽が昇る時を「明け六つ」といいましたが、太陽が沈んで行く時は「暮れ六つ」といいました。太陽の日の出と日の入りは季節によって変わってきますので、正午(=太陽が南中した時)の「九つ」からそれぞれの「六つ」までの時間も季節によって一定していませんでした。


つまり、夏と冬では「一つ」の長さが全然違ったのです。夏は太陽は早く昇って遅く沈みますから、昼間の「一つ」は長く夜の「一つ」は短くなります。冬はその逆でした。


現在の私たちから見れば随分アバウトな感じもしますが、これでも充分に用が足りていたという事実が興味深いですね。(了)


※ この講座「時間、暦について考える」は全3回のシリーズで行います。第2回は、来年1月にアップロードの予定です。

※ この講座の受講証書は、全3回が終了した後に発行を受けることができます。