ノルディックウォーキングを楽しもう

ノルディックウォーキングは、クロスカントリースキーチームの夏場のトレーニングとして約80年前にフィンランドで始まりました。比較的長い歴史があります。ただ、「ノルディックウォーキング」としてきちんと定義がされたのは1997年で、世界的な広がりはそれ以降です。

誰でも簡単に覚えられ、5分~10分で運動効果を感じられる、最も運動効果の高いスポーツとして、フィンランドでは瞬く間にポピュラーになり、まもなくドイツ、オーストリアで普及しました。現在では、世界40ヶ国を越える国でノルディックウォーキングが行われており、フィンランドでは成人人口の20%にあたる82万人もの人が日常的に実施していると言われています。

ノルディックウォーキングは、ポールを使うことで全身の筋肉をたくさん刺激し(ノルディックウォーキングの動きは身体にある90%の筋肉が使われるといいます)、普通のウォーキングよりエネルギー消費量が約20%も増加します。また、ランニングほどハードではないので、ウォーキング以上ランニング未満の運動であるといえるでしょう。つまり、体力づくり、スタミナアップ、ダイエットなどにとても効果的です。また、上半身もしっかり使うので、肩や首のコリの解消、肩甲骨の可動域の改善にも有効です。

日本国内では北日本を中心に細々と行われていましたが、2004年ごろから「大滝村ノルディックウォーキング協会」のサイトなどを中心に、情報交換が活発に行なわれるようになり、「北欧発の健康法」としてノルディックウォーキングが、介護予防や生活習慣病予防対策に役立つとして注目されるようになりました。

2003年7月に「NPO法人日本ノルディックウォーキング協会」がノルディックウォーキングの普及、振興目的の為に設立。2006年12月には整形外科専門医安藤邦彦スポーツドクターにより「日本ポールウォーキング協会」が設立され、専用ポールを前につくことにより転倒予防と運動機能改善を主目的としたポールウォーキングが確立されました。

歩く前には、ふくらはぎ、大腿部、大胸筋、背中、上腕部などを十分にストレッチしてから始めましょう。

 

ダウンロード
ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。
受講証書012.png
PNGファイル 254.1 KB

講座011 和太鼓の魅力

一般的に、和太鼓には残響がよく響いて、音に余韻が残るという特徴があります。もともと、太鼓は音を響かせることによる情報伝達の手段として、すでに縄文時代から利用されていたといわれています。たたいて大きな音を出すという方法はとてもシンプルであり、何かしら、音が耳を通して聞こえてくるというより、身体の奥底へ響きわたるような感じが大きな魅力であると感じます。

太鼓は、ものごとやその場面を引き立て、はやしたてて盛り上げる囃子太鼓、あるいはいくさなどで軍の統率をとるための陣太鼓、祭りなどの場にあっては神との意思のやりとりのための手段として等、様々な形で利用されてきましたが、芸能、芸術の観点からみると、雅楽、宗教音楽、歌舞伎における効果音として発展してきた歴史を見ることができます。


音の3要素とは、高さ、強さ、音色です。さらに、これらが時間の経過とともにどのように変化していくかを観察するとき、音楽の3要素としてのメロディー、ハーモニー、リズムという概念が出てきます。さて、そこで太鼓ですが、太鼓が他の楽器と比べて決定的に違うのは、一つの太鼓で複数の高さの音を出すことができないということです。

弦楽器であれば、弦を抑える位置で音の高さを変えることができます。管楽器は、管の中の空気の流れをコントロールすることで音の高さを変えることができます。打楽器であっても、木琴や鉄琴のように、たたく音板を変えることで音の高さを変えることができます。しかし、太鼓はそれらと違い、一つの楽器が一つの高さの音しか持っていません。

するとどうなるか。太鼓の演奏を音楽の3要素に照らして考えると、太鼓は音の高さの変化として考えられるメロディーを持ちえないということになります。しかし、一方で太鼓は強烈なリズムを持つ楽器であり、それが他にない太鼓演奏の魅力につながっているといえるでしょう。太鼓の鼓動(リズム)は、心臓の鼓動(リズム)に通じ、身体の奥深くに響き渡る感覚はそこから生まれるのだと思います。

多種類の太鼓を二人以上の打ち手で演奏する現在の「組太鼓の」形式は、昭和になって小口大八によって確立されたといわれています。これにより、他の楽器に対して脇役的な位置に甘んじていた太鼓が演奏の主役になることができたわけです。

美容や健康、ストレス解消にもよいとされますが、それぞれの仕方で太鼓に親しんでみられてはいかがでしょう。


ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書011.png
PNGファイル 252.8 KB

講座010 折り紙

 一枚の紙から、様々な立体が生み出される。それが折り紙の魅力ですが、では、この折り紙の起源はどこにあるのか? というと、実はよくわかっていません。製紙技術の起源が中国にあることから、折り紙も中国で始まったのではないかという説がありますが、定かではありません。また、スペインが起源だという説もあります。ただ、史料に照らし合わせて考えてみると、日本の折り紙は、外国から伝わったものではなく日本独自のものとして発達してきたようです。

 生活の中で紙を折るというのは、もともとは、供物を包んだり、神事に用いたりする紙の造形の工夫から生まれてきたものでしたが、それが護符や香包みなど包みの文化となり、次第に紙が広く普及していくにしたがって、遊びの一つとしての折り紙の誕生につながってきたと考えられます。

 ちなみに、1797年(寛政9年)に出版された『秘傳千羽鶴折形』という本には、実に49種類の折鶴が紹介されていて、これが現存する世界最古の折り紙の文献とされています。また、この本は、明らかに大人向けに書かれており、当時から子供だけでなく大人にも折り紙を楽しむ人がいたことが分かります。

 指先を動かし、脳に刺激を与えることができることから、幼児教育やリハビリの場面などにも、折り紙は取り入れられていますが、なんと、折り紙を折る技術というのは宇宙開発にも利用されています。それは人工衛星の太陽電池パネルを折り畳むために用いられているのですが、できるだけ小さく折りたたんで、大きく広げる技術が研究されています。その様子を動画で紹介しておきます(英語の動画なのでわかりづらいかもしれませんが、小さくたたまれたものが大きく広がっていく様子を楽しんでください)。


 最後に、「おりがみの日」について紹介しておきます。

「おりがみの日」は、11月11日です。これは数字の1が4つ並ぶ11月11日の、数字の"1"を正方形の一辺と見立て、1が4つで正方形のおりがみの4辺を表すと考えて、1980年に、この日を「おりがみの日」に制定しました。また、この日は世界平和記念日(1918年第一次世界大戦休戦条約が調印された日)にもあたり、折り紙の平和を願う心と相通じるものがあることも制定した理由のひとつなのだそうです。この日に折鶴を折ってみるというのもいいかもしれませんね。

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書010.png
PNGファイル 250.2 KB

講座009 ブッポウソウの巣箱

 1980年代後半、広島県内に生息するブッポウソウは、電柱のコンクリート化等の影響から、5~10つがい程度しかいなかったのですが、その後、人工の巣箱による保護、繁殖が試みられ、2011年現在では作木町だけで約140つがい(約280羽)、広島県では約300つがい(約600羽)が生息していると言われています。ちなみに全国では約500つがい(約1000羽程度。(2014年現在では、岡山県が全国一の飛来地です。)

 今回「いきいき館」で作製した巣箱は、広島県竹原市出身で農学博士の飯田知彦先生が考案されたものを参考にしました。このブッポウソウ用巣箱や保護の取り組みについてのマニュアルが次のページで詳しく紹介されていますので是非お読みください。

 

 「巣箱の架設によるブッポウソウの保護」

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書009.png
PNGファイル 253.9 KB

講座008 将棋


日本の将棋には「持ち駒」という観念があることが特徴とされています。、これはチェスなど諸外国の将棋類似のゲームにも例のない独特のルールであり、ゲームを複雑に、面白くしている要因の一つです。たくさんの人が将棋を楽しんでいますが、日本の将棋人口は推定600万人と言われています。

 

歴史的みると「大将棋」(225マスの将棋盤と130枚の将棋駒を使用)、「中将棋」(144マスの将棋盤と92枚の将棋駒を使用)、「小将棋」(81マスの将棋盤と42枚の将棋駒を使用)などが指されていたこともあり、これらの将棋は現代の将棋に対して「古将棋」と総称される。

将棋ってものすごくいろんなことを考えるんですね。プロ棋士の頭の中を覗いてみたい気分になります。

 ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書008.png
PNGファイル 250.4 KB

講座007  グランドゴルフ

 グランドゴルフは、昭和57年に鳥取県東伯郡泊村生涯スポーツ活動推進事業の一環として、泊村教育委員会が中心になり考案されたスポーツです。当時、泊村(現在は湯梨浜町)では高齢化が進み、健康づくりを重要課題としていました。そのため、文部省の補助事業採決に向けて宮脇三巳村長が国や県へ奔走し、昭和57年に泊村は指定を受けました。そして、教育委員会を中心に、高齢者にふさわしい新スポーツとして開発されました。
 高度な技術を必要とせず、しかも全力を出す場面と、集中力や調整力を発揮する場面がうまく組み合わされており、ルールもごく簡単なことから、初心者でもすぐに取り組めることが特徴です。

 専用のクラブ、ボール、ホールポスト、スタートマットを使用して、ゴルフのようにボールをクラブで打ち、ホールポストにホールインするまでの打数を数えます。
 場所によって距離やホールポストの数を自由に設定でき、ルールも簡単なため、どこでも、だれでも手軽に楽しむことができます

 発祥の地が泊村(トマリソン)であることを後世に残すため、「ホールポストの中にボールが静止した状態をトマリという」とルールに明記しました。



グラウンドゴルフのルール


 グラウンドゴルフは、みんなが楽しむことに重点をおいたスポーツですし、審判員もいないので、重要になってくるのはその人の「自律性のあるプレー」です。そのため、ルール自体も最初はエチケットに関するルールから始まっています。自分勝手な行為や、他の人に迷惑をかける行為があると仲間の輪の雰囲気も悪くなりますし、プレー自体も楽しくなくなってしまいます。

 一人一人が自律的な行動をしてこそ、このスポーツが成り立ち、楽しく和気あいあいとプレーができるのです。プレーの途中で声をかけあって、教えてあげたり励ましたりと、仲間とのコミュニケーションも積極的にとるようにしましょう。


★エチケットに関するルール

第一条

プレーヤーは、自分のプレーが終わったら、すみやかに次のプレーヤーの妨げにならない場所にゆく。

  一打目を打つ場所がみんな同じなので、打ったあとその場にゆっくりいてしまうと、次の人が待たないといけなくなります。そのためにすみやかに次に打つ人の邪魔にならないよう配慮するように、というルールだと思います。そして、最初だけでなく、プレーが終わった後もホールポストの近くは特に人が集まり、まだプレーが終わっていない人の邪魔になりやすいものです。常に他の人のプレーを気遣うようにしてください。

第二条

プレーヤーは、同伴のプレーヤーが打つときには、話したり、ボールやホールポストの近くやうしろに立たない。また、自分たちの前をゆく組が終了するまで、ボールを打たない。

  自分がプレーするときに、周りの人がおしゃべりに夢中になっていたり、あっちこっちに動き回ったりしていると集中できないですよね。他のプレーヤーも同じで、集中 を欠くような行動、発言は慎みましょう。また、前の組がホールポスト付近にいてプレーが完全に終わってない状態で、次の組がスタートすることはできません。スタートマットにボールを置く人もいますが、エチケットとしてボールも置かないようにしましょう。

第三条

プレーヤーは、自分の作った穴や足跡を直してゆく。

  自分が打ったあとは、穴や足跡がついて次打つ人のプレーの妨げにならないかをチェックするように習慣付けましょう。特に雨が降ったあとの地面はぬかるんで足跡なども付きやすいので注意が必要です。

★ゲームに関するルール

第4条  ゲーム

ゲームは、所定のボールをきめられた打順にしたがってスタート位置から打ち始め、ホールポストに入って静止した状態「トマリ」までの打数を競うものである。

  基本、スタートマットの位置から、ホールポストに入り静止するまで同じ順番でプレーをするので、最初に打順を決めておくようにしてください。もし、打った後ボールがホールポストに近い場所にとまった場合は、(クラブのヘッドの長さ以内の距離だと考えてください)一言声をかけてからそのまま続けて打ってください。参加者同士気持ちよくプレーをするには、その一言がとても大事になります。

第5条   用具

クラブ、ボール、ホールポスト、スタートマットは定められたものを使用しなければならない。

  ここでいう「定められたもの」は、日本協会認定品を意味しています。日ごろ、仲間内だけで練習したり、非公式の試合、ローカル大会などでプレーを行う場合はこれに準ずる必要はありません。講習会、公式大会では道具はすべて認定品を使用してください。ただし、クラブに滑り止めのテープを巻いたりすることは公式に認められています。

第6条  ゲーム中の打球練習

プレーヤーは、ゲーム中いかなる打球練習も行ってはならない。本条の反則は1打付加する。

  スイング練習などであれば、周囲に配慮して行っても問題ありませんが、ゲーム中はボールを練習で打つことはできません。もし、打ってしまった場合は1打付加のペナルティをうけることになります。

第7条  援助

プレーヤーは、打つとき足場を板などで作ったり、人に支えてもらったりするなど、物的・人的な援助やアドバイス、あるいは風雨からの防護を求めたり、受けたりしてプレーしてはならない。本条の反則は1打付加する。

  どういう打ち方がいいのかしら・・・と人に聞くこと、雨が降ってきた場合など傘をさしてもらうこと(原則傘をさすことは禁止されています)、など人の助けを借りる行為は罰則の対象(1打付加)になります。プレー中にどんな問題が起こったとしても、自主的に考え解決することが基本となります。

第8条  ボールはあるがままの状態でプレー

プレーヤーは、打ったボールが長い草や木のしげみなどの中に入ったとき、ボールの所在と自己のボールであることを確かめる限度においてのみ、これらのものにふれることができる。草を刈ったり、木の枝を折ったりしてプレーしてはならない。本条の反則は1打付加する。

  グラウンドによっては、コースのまわりにしげみや木がある場合があります。そのとき、ボールがその木の真下に行って打ちにくかったりすると、木の枝を少し折っても大丈夫・・・と考える方もいるかもしれません。でも、そういう行為は1打付加のペナルティになります。また、草を抜いたり、小石を蹴ってどけたり、足場を固めたり、故意に打ちやすい環境に整えることはいけません。あくまでもあるがままの状態でプレーするのが基本です。

第9条  ボールの打ち方

プレーヤーは、ボールを打つときはクラブのヘッドで正しく打ち、押し出したりかき寄せたりしたときは1打付加する。ただし、から振りの場合は打数に数えない。

  ヘッドを握りシャフトで打つ場合を除いて、クラブの握り方や握る場所に規制はありません。そして、ヘッドのどの部分でボールを打っても問題ありません。しかし、ホールポスト付近にボールが止まり、構えなくてもボールをかき寄せるだけでポストに入りそうな場合でも、そういう行為をするとペナルティ(1打付加)となります。また、ひきずって打ったり、ボールに2度当たったりしても1打付加です。最後にから振りの場合は、打数としてカウントしません。風の影響で少しでも動いたとしても、ノーカウントです。

第10条  紛失ボールとアウトボール

プレーヤーは、打ったボールが紛失したり、コース外に出たときは1打付加し、ホールポストに近寄らないで、プレー可能な箇所にボールを置き、次の打を行わなければならない。

  めったにないのですが、ボールが見つからなくなったり、川や溝に落ちたりして打てない状況になることがあります。その場合は、1打付加して、替わりになるボールを置きプレーを続けます。池・川・排水溝などに落ちた場合は、ボールが落ちた場所からホールポストに近寄らないで、クラブ1本分(100センチ以内)の範囲内にボールを置いてスタートします。

第11条  プレーの妨げになるボール

プレーヤーは、プレーの妨げになるボールを、一時的に取り除くことを要求することができる。取り除くのは、ボールの持ち主であり、その際ホールポストに対して、ボールの後方にマークをして取り除かなければならない。

  この条では、ボールをプレーの妨げになる場合一時的に「マーク」して取り除くことを規定しています。マークする場合使用するのが、マーカーという丸いコインのようなもので、そのマーカーも置くときはボールの後方に置くことが定められています。

第12条 他のプレーヤーのボールに当たったとき

プレーヤーは、打ったボールが他のプレーヤーのボールに当たったときは、そのままボールの止まった位置からプレーを続ける。当てられたプレーヤーはもとの位置にボールを戻さなければならない。

  打ったボールが他の人のボールに当たったら、自分のボールは止まったその場所からプレーをはじめ、当てられた人のボールは、当たる前の場所にきちんと戻しましょうというルールです。第11条のルールは、この12条のような場合を防ぐためにも、必要不可欠な決まりです。

第13条  止まったボールが風によって動いたとき

プレーヤーは、打ったボールが動いている間は、ボールを打ってはならない。風によってボールが動いたときは、静止した場所からプレーをし、動いてホールポストに入った場合はトマリとする。

  強風の時や、地面の状態によっては一度止まったボールが、動いてしまう場合があります。ボールが動いた場合は、ぴたっと止まるまで待ち、止まったらその場所から打ってください。もし、ボールが風の力でホールポストに入ったときは、自分で打っていなくても「トマリ」と認められます。

第14条  第1打がホールポストに入ったとき

プレーヤーは、入ったボールが1打目でトマリ(ホールインワン)になったときは、合計打数からホールインワン1回につき3打差し引いて計算する。

  1打目を打ったボールが「トマリ」し、ホールインワンとなれば、そのホールポストのスコアは1と記入し、全ホールポスト終了後、合計打数から1回につき-3します。もし、1ゲームにホールインワンを3回した場合は、トータルの打数から-3×3=-9することになります。

第15条  ゲーム中の判定

ゲーム中の判定はプレーヤー自身が行う。ただし、判定が困難な場合は同伴プレーヤーの同意を求める。

  グラウンドゴルフというスポーツは、プレー中にコーチから指導や指示を受けたり、審判員がルールの順守を見ていてくれたりするスポーツではありません。その分、1人1人が自分のプレーに責任を持ち、ルールを守ってプレーする必要があります。よって、すべて自分の判断でゲームを行っていきます。また、もし際どい判定、困難な判定があった場合には、一緒にプレーしている人に「これは、こういう判断でいいのかな?」と意見・同意を求めていいことになっています。ですが、この場合も最終的な判断は自分で行うことになります。

第16条  標準コース

標準コースは、50m、30m、25m、15m 各2ホールの合計8ホールで構成する。

  協会が定めているコースの基準「標準コース」(外回り4コース、内回り4コース、計8ホールポスト)は、公式の試合で使われるなどあくまでも原則として設定されています。日常の練習や非公式の試合などでこのコースを必ず使う必要はありません人数やグラウンドの広さ、時間に応じコースを設定し、プレーを楽しんでください。

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書007.png
PNGファイル 251.1 KB

講座006 コミュニティづくり

コミュニティという言葉をよく聞きますよね。これは、地域住民が生活している場所、つまり、消費、生産,労働、教育、衛生・医療、遊び、スポーツ、芸能、祭りに関わり合いながら、住民相互の交流が行われている地域社会、あるいはそのような住民の集団を指して言います。具体的な例でいうと、市町村などの地方自治体などがわかりやすいですが、地域を越えて連携した非営利組織などの集団、最近では、インターネット上で連絡を取り合う集団などもコミュニティと呼ばれています。

ここでは、地域社会の現地住民が集団の構成要素であるコミュニティ、つまり地縁によるコミュニティを、特に地域コミュニティと呼ぶことにして、その他のコミュニティと区別して考えることにします。

さて、右上のグラフは地域の人々との付き合いについての調査です。日本の共同体は、遊牧民の持つ文化とは異なり、村落に居住する住民を構成員とする集団であることから、伝統的、歴史的な地域コミュニティと言われますが、それが衰退しつつある様子が読み取れます。

地域コミュニティにおいては、一般的に、地域内に居住する住民同士で情報が共有され、住民相互の信頼関係が築かれています。そうした信頼関係は、協力関係を生む一方で、競争や対立も内包していることもあります。しかし、そんな競争や対立も構成員の個別利益や共同利益を過度に侵害することはほとんどありません。コミュニティの居心地の良さというのは、こういうところにあります。逆に言うと、こういう居心地の良いコミュニティづくりが大切、ということでもあります。

結局、地域コミュニティづくりとは、豊かな人間関係づくりということになると思います。そしてそれは、当たり前のことですが、腹の立つこともあるけど、面白いこともある、という人間関係の多様さを受け入れる風土がないと成立しないものなのです。

しかし、様々な社会状況の変化により、こうしたことが難しくなってきています。たとえば、忙しくて地域との関わりを持ちにくいとか、年をとって家から出る機会が減ったとか。そんな理由で地域社会における人間関係づくりが、何か特別な努力をしなければならない類のものへと変貌しつつある現実があります。

地域における人間関係が、希薄なものになってしまっては、人間関係の多様さを受け入れる風土づくりと言っても現実的には困雑と言わざるをえません。少子高齢化にともない、このような傾向はさらに進んでいくと考えられます。地域コミュニティのあり様というのは、転換点を迎えていると言えるかもしれません。

こうした現在の状況下で何が重要なのでしょう。それは、ひとりひとりが地域に根差す意識を持つということではないでしょうか。田んぼや畑や山や川や空。そして、何よりもそこで共に暮らす人を大切に思う気持。一緒に笑って楽しい時間を過ごし、時にはけんかもして、仲直りをする。そんな人間関係の絡み合いの積み重ねによってしか地域コミュニティは成立しないと思います。そして、これは決して行政主導でできることではないのです。

最も身近でリアルな空間が最も居心地のよい空間であること。豊かな人生を送るために、これはとても重要なことだと思います。お隣さんを気に掛ける。地域の行事に参加する。居心地の良い空間づくりへの最初のアプローチはそのあたりからではないでしょうか。

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書006.png
PNGファイル 252.0 KB

講座005  いわさきちひろについて

 まずは、いわさきちひろの絵を鑑賞してください。

 いわさきちひろは、1918に福井県武生町(現在は武生市)三姉妹の長女として生まれました。生家は裕福でカメラありちひろの幼いころの写真も残っています。ちひろは幼少のころから絵を描くのが得意でした。

 18歳の頃、書を習い始めました。のちに彼女の作品に見られる東洋の伝統的な水墨画の技法にも通じる、にじみやぼかしを生かした独特な水彩画には、の影響もあると思われます。

 20のとき、両親のすすめにより結婚をしましたが、これは幸福な結婚ではありませんでした。翌年夫は自殺し、ちひろは、二度と結婚しないと決意したのでした。

 26歳のとき、東京大空襲にあい、東京の家を焼かれた彼女は、母の実家である長野県に疎開し、ここで終戦を迎えました。ちひろはこの時初めて戦争の実態を知り、自分は何も知らなかったのだと愕然としました。そして、27歳のとき、宮沢賢治ヒューマニズム思想に強い共感を抱いていたちひろは、戦前、戦中期から一貫して戦争反対を貫いてきた日本共産党の演説に深く感銘し、勉強会に参加したのち入党。その後上京して、働きながら絵を学び、画家として自立したのでした。

 30歳。画家としての多忙な日々を送っていたちひろは弁護士を志す松本善明と結婚。絵を描きながら、夫を支えました。

 1940年代から50年代にかけてのちひろは油彩画も多く手がけていましたが、196344のときに、雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵を担当することになり、そのことがその後の作品に大きく影響を与えます。「子どもを題材にしていればどのように描いてもいい」という依頼に、ちひろはこれまでの迷いを捨て、自分の感性に素直に描いていったのです。1962の作品『子ども』を最後に油彩画をやめ、以降はもっぱら水彩画に専念。やがて、独自の画風を追い始めます。「子どものしあわせ」はちひろにとって実験の場でもあり、そこで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられちひろの代表作となるものがこの雑誌で多く描かれるようになりました。この仕事は197455歳で亡くなるまで続けられ、ちひろのライフワークともいえるものでした。

 自らも東京大空襲を経験したちひろは「子どもの幸せと平和」を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていました。

 1972ちひろは体調を崩します。医者は、十二指腸潰瘍だといい、ちひろもそう思っていましたが、そんななかで童画ぐるーぷ車展覧会に「こども」と題した3枚の作品を出品しました。これは、アメリカ軍のベトナム侵略への抗議と平和への願いを込めて、戦場におかれた子供たちを描いたものでした。これがきっかけとなって、ベトナム戦争の中での子どもたちを描いた彼女の最後の絵本『戦火のなかの子どもたち』が制作されたのですが、体調を崩したちひろは入退院を繰り返しながら、1年以上の歳月を費やしています。これがちひろ最後の絵本です。 1973年秋、この絵本が刊行されたころ、肝臓癌におかされていることがわかります。そして、197488、原発性肝臓癌のため亡くなりました。ベトナム戦争が終結する8か月前でした。

ちひろの言葉を二つ紹介しておきます。

私もさわりたくてしょうがないんです。その辺に赤ちゃんなんかいると自分のひざの上に置いておきたい。

親はどうしてもさわらずにはいられないものじゃないかしら。私はさわって育てた。小さい子どもがきゅっとさわるでしょ。あの握力の強さはとてもうれしいですね。あんなぽちゃぽちゃの手からあの強さが出てくるんですから。そういう動きは、ただ観察してスケッチだけしていても描けない。ターッと走ってきてパタッと飛びついてくるでしょ。あの感じなんてすてきです。

大人になること


人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。

といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。
ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。

もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。

少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。

でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。

いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。

これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。


いわさきちひろについてもっと知りたい方はこちらへどうぞ

 

いわさきちひろの作品集

いわさきちひろのこと

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書005.png
PNGファイル 255.7 KB

講座004  災害に備える

 集中豪雨は発達した積乱雲がもたらします。地面付近の暖かい空気が上昇すると、上空の冷たい空気とぶつかり、大気の状態が不安定になります。この不安定を解消しようとして上下の空気が混じり合う対流が発生します。
 この時の空気が湿ったものであれば、上空に行くに従って下がる気温の中で、空気に含まれる湿気・水分が凝結して雲になります。この雲が積乱雲となります。積乱雲は垂直方向に発達するため、局地的な狭い範囲に激しい雨を降らします。雨の時間は短くても、1時間に100ミリを超すの猛烈な雨を降らすこともあります。こうして集中豪雨となるわけですが、その中でも降雨の範囲が非常に狭く、また降雨時間が短いにもかかわらず単位時間あたりの降雨量が非常に多いもの、つまり、非常に狭い地域の中で短い時間で驚異的な大量の雨が降る局地的豪雨のことを、ゲリラ豪雨と呼んでいます。
 これは、地球温暖化により日本の気候が亜熱帯化して来ていることで、雨の降り方も変化していることが主な原因と言われています。都市型のゲリラ豪雨は、ヒートアイランド現象も絡んできます。
 さて、1時間に100ミリの雨量といった場合、=10センチな訳ですから、数字だけ聞くとたいしたことがないような気もします。10㎝といったらくるぶしが浸かるぐらいですから。

 しかしこう考えてみてください。

 畳10畳のスペースに10㎝水が溜まっています。これを1畳に集めると1メートルです。これがもし20畳分のスペースだったならば、1畳に集めると2m。背丈以上の水に浸かってしまうことになります。上にあがれるスペースがなければ・・・。
 こういう状態になりかねないのが、ゲリラ豪雨に遭遇するということなのです。

 台風などによる大雨、洪水、暴風、高潮が引き起こす様々な被害を防ぐために、国や都道府県では、土砂災害防止のための砂防設備、崖崩れ防止のための防護壁、川の氾濫を防止するための治水工事、高潮を防ぐための防潮堤の整備など、様々な防災対策を行っています。しかし、こうしたハード施設での対策を行っていても、自然の力が勝れば、災害は発生します。

 災害から身を守るためには、国や都道府県が行う対策などの「公助」だけでなく、私たち一人一人の「自助」、すなわち、災害に対する備えをしておく、危険を感じたら早めに避難するなど、自らの身を守るための防災行動を起こすことが重要です。
 そのような「自助」のために役立つのが、気象庁が発表している「防災気象情報」です。皆さんが早めの防災行動をとれるよう、気象庁は大雨や台風などに関する防災気象情報を随時提供しています。

 災害が発生するおそれのあるときには「注意報」、重大な災害が起こるおそれのあるときは「警報」、さらに、重大な災害が起こるおそれが著しく大きいときは「特別警報」を発表し、注意や警戒を呼びかけます。

 これらは原則として、市区町村ごとに発表され、市区町村は、警報などを受けて、ハザードマップなどに基づく危険な区域の住民に対して、避難準備情報、避難勧告、避難指示の発令を検討します。

 下の図を参考に、いざというときに適切な行動がとれるよう、準備をしておきましょう。

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書004.png
PNGファイル 253.7 KB

講座003  ホタルについて

次の動画は、上谷のホタルではないのですけれども・・・

 上谷で見られるのはゲンジボタルで、5月末から6月頃に成虫になり、日が沈んで1時間ほどたってから発光をはじめます。よく光って元気よく飛びまわる時間帯は、午後9時頃と午前2時頃です。

成虫になると草のつゆをのむだけで何も食べません。ですから、成虫の寿命は長くても23週間ぐらいといわれています。おすは、めすをさがして約2秒に一回の間隔で光りながら飛びまわります。めすはおすに知らせるために光りますが、飛びまわったりせずに、樹木の葉などの上でじっとしています。

めすは適当な川岸のこけを見つけるとその上に0.5mmほどの大きさの卵を500個から1000個うみつけます。卵は、約1ヵ月後にかえり、1.5mmほどの 幼虫がうまれます。うまれた幼虫はすぐに水の中に入ります。昼間の幼虫は石の下や砂の中にかくれてじっとしていますが、夜になるとはい出してきて川の中を歩きまわり、カワニナなどの巻貝のなかまを食べて約9ヵ月間生活します。56回脱皮して、十分に成長した幼虫は、水の中からはい上 がって、水辺の柔らかい土の中にもぐり込んでサナギになります。それから4550日間、土の中ですごしたホタルは、 もう一度脱皮して成虫となります。しばらくして体が十分に硬くなると、雨が降ったりして土が柔らかくなった夜に、土の中からはい出して飛びはじめます。

ホタルが繁殖する条件について考えてみます。

まず、えさについて。1匹の幼虫がどのくらいカワニナを食べるか調べた所、サナギになるまでに約25匹のカワニナを食べることがわかっています。幼虫が成長していく段階に応じて、殻の長さが3ミリから35ミリまで大小のカワニナがいてホタルの幼虫はサナギになれるのです。ですから、かりにその場で50匹のホタルを飛ばしたいとすると、50×25=1250匹のカワニナが必要ということになります。

さらに、ホタルが毎年飛び続けるためには、母集団はこの5倍から10倍いなければ翌年につながりません。つまり、6250匹から12500匹のカワニナが必要なのです。加えて、このカワニナたちは水質、流速、陽当たり、底質、植物プランクトン(巻貝の食べ物)の存在によって生活できるわけですが、同じ場所に天敵の魚やザリガニがどのくらいいるかによって母集団の数はさらに多くならないと、ホタルのための必要数が確保されないということになります。

河川にすむカワニナ類は、自然河川では、水深1mよりも浅い岸辺に多くいるようです。農薬や合成洗剤などの毒性のある水が流れ込んでいないこと、水温が30を超えないこと、溶存酸素量が多いこと、流速が早過ぎない(2m/秒以下)こと、増水したときに隠れ場所があること、というような条件がそろえば、付着藻類や落葉などのえさがある限り、生き残ることができるようです。

次に、ホタルが繁殖するための地質や地形などの環境です。

岸の土は上陸した幼虫が登ってもぐりやすい湿り気を保っていること、羽化した成虫が止まっていられる林がまわりに必要です。そして、飛びまわる空間にクモなどが多いと成虫が食べられるし、人工照明が強いと、明かりを嫌うホタルはその場を避けて飛び去ってしまいます。

 こうした環境を長年維持するのは容易ではありません。ところが、初夏になるとホタルを見たい人が来るので「ホタル祭り」のイベントを開き、1匹でも多くのホタルを見せたい主催者が環境やホタルの生息条件を無視して照明をつけ、そこで発生していないホタルを乱舞させて観光資源にしている例があります。さらに環境とは無関係に水槽などで幼虫を養殖し、これを成虫にすることが保護活動と報じられることもあります。このような活動は根本的な環境問題を無視した行為であることを認識し、あくまで発生する現地の生態系の保護を目指すことが大事で、ホタルは「環境の結晶」という意識をしっかりもった活動が行われていかなければなりません。

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書003.png
PNGファイル 252.7 KB

講座002  ブッポウソウについて

ブッポウソウは、ツバメなどと同じ夏鳥として日本に飛来してきます。本州、四国、九州で繁殖し、冬は東南アジアに渡って過ごします。全長は約30cm。体重は、約150gグラム。翼を広げると60cmくらいのおおきさです。全身緑色でくちばし、足は赤色、飛ぶと翼に青白色の斑が出ます。「森の宝石」と呼ばれ、美しい鳥と言われる一方で、派手だけれども、色に調和性が無く、美しいとは言えないという人もいます。ちなみに、美しい鳥と言われ「渓流の宝石」といわれるカワセミとブッポウソウは、ともにブッポウソウ目に分類されます。

 

さて、ブッポウソウの名前の由来。実はこれ、勘違いでつけられた名前なのです。というのも、昔から、とくによく人間に見つかりやすく観察された場所が社寺林など大木のある森の中。そうした場所は仏教の霊的な力に満ちた場所とされるわけですが、ブッポウソウは、そこの大木にできる樹洞にを巣をつくり繁殖します。その森の中で夜になると「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く声が聞かれるのです。仏教の三宝は仏・法・僧ですが、それがそのままの鳴き声であり、平安時代以来ブッポウソウ(仏法僧)と鳴く霊鳥と思われてきました。ところが、実際のブッポウソウの鳴き声はまるでカエルの親玉のような「ゲッゲッゲッ」というような鳴き声。姿のブッポウソウと、声のブッポウソウは一致していなかったのです。しかし、昭和初期になって、ようやく声の持ち主はフクロウの仲間のコノハズクであることがわかりました。(ページの終わりに二つの鳥の鳴き声を掲載しておきました。)

 

ブッポウソウの世界分布をみると日本が最も北に位置しています。そのため、生息数はもともと少ないうえ、最近の森林の荒廃、 餌となる比較的大型の昆虫が多く生息する広葉樹林の減少、繁殖可能な比較的大きい樹洞のある木やキツツキ類のあけた穴のある木製電柱がコンクリート製や鋼管製の柱に換わる事などで、近年急激に減少しています。 そのため、絶滅のおそれのある野生動植物のひとつとして、環境省の指定するレッドリストで、絶滅危惧種に指定されている貴重な鳥です。一口に絶滅危惧種といってもいろいろなランクがあるわけですが、一般に絶滅危惧種の鳥としてよく知られている、アホウドリやタンチョウよりもブッポウソウのほうがランクが高い。つまり、より絶滅の危機に瀕している鳥なのです。

 

先ほども少し触れましたが、ブッポウソウは比較的大型の昆虫を食べます。トンボとか、セミとか、カゲロウなど。これを飛びながら空中で捕まえて食べます。そのため、高い木の枝や電線などにとまり、昆虫類を探していると思われる様子を観察することができます。その場合、ヒタキ類のように同じ場所から飛び立ち、捕食に成功しても失敗しても、ほぼ元の位置に帰るという行動を繰り返すことが多いようです。

 

だいたい4月下旬頃日本に渡来し、5月下旬から6月上旬頃に4~6個の卵を産みます。ヒナは7月中旬から8月上旬頃に巣立っていきます。繁殖終了後、いつ頃まで日本に留まっているかはよくわかっていませんが、おそらく9月中まではいるものと思われます。

ブッポウソウの鳴き声

コノハズクの鳴き声


ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書002.png
PNGファイル 254.4 KB

講座001  生涯学習ってなぁに?

  左のイメージキャラクター、一体何かご存知ですか?  

 

 正解は生涯学習のイメージキャラクターでマナビィと言います。これは仮面ライダーの作者で有名な漫画家石ノ森章太郎さん(故)によるデザインで、生涯学習の「学び」(マナビ)とミツバチの英語の「bee」(ビー)を合わせ「マナビィ」と名付けられました。

では、マナビィが持っている「つぼ」の中身は何でしょう? ミツバチがモデルになっていることからハチミツに思えますが、実は「マナ」(コエンドロ=コリアンダー)という植物の実なのだそうです。かつてイスラエルの民がエジプトを脱出し、荒野を旅していたときに天から授かり、以後40年間このマナだけを食べて生き延びたと言い伝えられている食べ物です。

石ノ森章太郎さんは私たち「学び」は人々が生きていくうえで欠かせないものであるというメッセージを、に託されたのだと思います。

 

 「生涯学習」と言うと、なんだか堅苦しくて、難しそうな感じをもつ方もいらっしゃるかも知れませんが、こんなふうに気楽に考えてみてください。

 

 

一人ひとりが自由に、

自分でテーマを選び、

自分にあった手段・方法によって

年齢に関係なく生涯にわたり、

必要なことや興味関心のあることを、

必要なときに学ぶ‥‥

 

個人で、あるいは仲間とともに、

楽しく学びながら、

自分の考え方や生き方を変えるきっかけをつかむ。

それが、生涯学習の意義であり、面白さです。

 

 

 読書をしたり、講演会へ行ったり、演劇を鑑賞したり、スポーツをしたり、ボランティアをしたり、資格を取得したり…などなど。さらに、子どもが遊びの中で社会のルールを学んでいくことも生涯学習のひとつと言えるでしょう。

 

 われわれは生きていくうえで、すべてが昨日と同じということはありません。知らなかったことを、知る。わからなかったことが、わかる。できなかったことが、できるようになる。生涯を通じて、そんなワクワクした気持ちを感じ続けることができたとしたら、それはとても豊かな人生ではないでしょうか。

 

 「生涯学習」とは、たんに、「退職後に高齢者が行う学習」とか「趣味や習いごとのような公民館やカルチャーセンターなどで行われている活動」に参加することではありません。「あれっ?」と思ったことをちょっと調べてみる。「おもしろいな」と思ったことを続けてやってみる。自分が自分の意志でそんなことに取り組み、積み重ねていくこと。

 そうすれば何歳になっても新しい輝く自分になれると思うのです。ちょっと難しい言葉でいうと「自己実現」と言います。

 

 人生80年時代。輝き続けることのできる自分であり続けたいですね。

 庄原市上谷コミュニティーセンターは、そんなあなたを応援します!

ダウンロードボタンを押してください。本講座の受講証書が発行されます。

ダウンロード
受講証書001.png
PNGファイル 254.6 KB