講座005 上谷小学校

第3回 給食事情

3代目の新校舎が完成したのが昭和31年、そして、4代目の新校舎に移転したのが平成14年なので、3代目の校舎は半世紀にわたる長い歴史を持っています。卒業生の年齢で考えてみると、2018年現在、最初の卒業生が74歳前後で最後の卒業生が29歳前後という計算になります。卒業生の年代が、戦後日本の成長を支えてきた後期高齢者の世代と現役で日本経済を支えている世代にわたっているというのは、3代目校舎の大きな特徴の一つだといえます。前回は三代目校舎ができた頃の様子を、当時の在校生の方の思い出とともに振り返って見ましたが、3代目校舎の後期の小学校生活はどんなものだったのでしょうか。思い出を繙いていきましょう。

 

もともと上谷小学校には、調理室があり、調理員さんも一人いらっしゃったのですが、給食の準備を全て一人でするのは大変なので、途中から、給食は山を一つ越えたところにある本村小学校で作られ、それが、昼前に上谷小学校に届けられるようになりました。それが、大体昭和50年代のことだそうです。この給食の配達は、後には、ある業者に委託されたそうですが、それ以前は、上谷小学校の保護者の方がボランティアでされていたのだそうです。その方によると、当時、上谷の道は非常に悪く、ガードレールもない狭い川の上の道を通らなければならない時は、本当に緊張したとのこと。しかし、子供たちの笑顔が待っていると思えば頑張れたと、笑いながら語ってくださいました。

当時在校生だった、この保護者の方の子供さんは、そんな恐怖と自分の親が毎日戦っていたとは露知らず、昼前に母親の顔が見れることがなんとなく嬉しかったそうです。

人の成長が、見えないところでの他の人の善意に支えられたものだということが、とてもよくわかるエピソードですね。