講座002 絵画を楽しむ

第3回 少しだけピカソのこと

この講座も今回で最終回となりました。今回は、美術に関心のない人でも名前は聞いたことのあるピカソに触れてみたいと思います。

その前に少しだけ。前回の講座では、光そのもの、感じたそのままを写し取ったモネなどの印象派の絵画を見てきました。こうした絵画はときに感覚的に過ぎて、ものの形態や構図、そして、それらを総合しての造形を通して感じられる実在感が弱くなることも否めません。

セザンヌは、印象派から出発した画家でしたが、ものの形へのこだわりが強い画家であったように思います。彼の作品をいくつか見てみます。


(左から「ショケの肖像」「ガスケの像」「サン・ヴィクトール山」)

筆致は荒々しく、形へのこだわりがよく表れていると思います。彼の絵をもう少しよく理解するために右の画を見てください。これは物体を面の集合としてとらえ、構成するための「面取り」と呼ばれるデッサンの方法のひとつですが、面取りのスケッチのあとでセザンヌの作品を見ると、セザンヌはものを面の集積体として再構成していったことがわかると思います。言葉を変えると、絵画において「形そのもの」が主題となったということです

さて、そこでピカソ。彼は、セザンヌ以上に「形そのもの」への探求を深めていった画家といえるでしょう。いわゆる「キュービズム(立体派)」と呼ばれる様式の完成です。同一の対象を同一の視点から眺め続けるということは、絵を描くうえでの基本的な身体動作ですが、それこそ、絵を描く以外の日常の中にこうした身体動作はほぼあり得ない、その意味で不自然な行動です。ピカソは、そこから抜け出そうとした。様々な角度から、様々な時間的な視点の変化も含めて対象を眺め、それを自分なりのやり方で一つの作品として統合していく。

こうして考えてみると、絵画というのは、限られた2次元の紙の上に、3次元の物の時間的、空間的な広がりを押し込める、というある意味で無謀な試みなのかもしれません。

(左から)「ギター弾き」「泣く女」「ゲルニカ」


対象を解体し、再構築を繰り返す主体としての作者の意志が絵画の面白みということになるのでしょう。

ところでピカソは、いくつもの名言を残していることでも知られています。その中から3つ紹介して講座を締めくくることにします。

 

 

・青がないときは赤をつかえばいい。


・(反戦の絵画として有名な「ゲルニカ」をめぐるやり取り。)

 ナチス「これを描いたのはあなたですか?」

 ピカソ「いや、違う。きみたちだ」 

 

・コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。

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