講座002 絵画を楽しむ

第2回 光を描く

前回の講座では、3次元のものを2次元の紙の上に表現する方法を見てきました。そして、光を描くために陰を描く方法(言い換えれば、陰を描いて光を表現する方法)でもなく、実在そのものを描く方法でもなく、光そのものを描いて物の存在に迫る方法はないのか? という問いを最後に投げかけたのですが、今回の講座ではそれについて掘り下げてみましょう。

そこで少し考えてみたいのですが、そもそも、光とは何でしょうか。ある辞書を引くと、目に感じる明るさのこと、と書かれていました。これを頭に入れて下の絵を見てください。モネの「印象 日の出」と「ラ・グルヌイエール」です。

    「印象 日の出」          「ラ・グルヌイエール」

いかがでしょう。まさに、目に感じられた明るさそのものが描かれていることがわかります。とくに「ラ・グルヌイエール」における水面の表現は見事に光をとらえ、それを表現しています。

この作品が描かれた当時、写真という新技術が台頭してきました。写真と絵画は、見たものを写し取る、という点において同じ目的を持っています。そして、両者を単なる写実性という点において比較すると、圧倒的に写真のほうが優位であることに間違いはありません。では「ありのままを写す」という点において絵画が写真に勝てないとすれば、絵画の生き残る道は何か。それは「感じたままを写す」ということになってくるわけです。

ダ・ヴィンチは、スフマートによって筆致を消し去り、写実表現を極めました。筆致を消したということは、そこにかかわった人間の痕跡を消したということです。しかし、写真という技術により、写実表現は写真に任せ、絵画は絵画によってしか表現することのできない人間の痕跡=筆致を主張し始めた。

モネに影響を与えた画家としてよくターナーの名が挙がりますが(左の絵はターナーの「雨、蒸気、速度 大西部鉄道」)、彼の作風は外界を写し取る絵画ではなく、風景を眺めて生じる感傷を描く絵画です。このような絵を見ると、ふと作者は何をどんなふうに感じたのだろうかとその心に触れてみたくなる気がします。見るものを参加させる表現がそこにあり、これが絵画の持つ豊かさということになってくるのだと思います。

同じものを見ても、人が違えば感じ方が違う。光そのものを描き、物の存在に迫るとは、それを描いた人の感じ方、心に迫るということなのかもしれません。

※ この講座「時間、暦について考える」は全3回のシリーズで行います。第3回は、9月にアップロードの予定です。

※ この講座の受講証書は、全3回が終了した後に発行を受けることができます。