講座001 時間、暦について考える

第3回 1年という単位

今回でこの講座も最後となります。これまで、1日、1ヶ月という時間をみてきましたので、今回は1年という時間について確認して、この講座を締めくくりたいと思います。

「年」という漢字の字義を調べてみるとわかりますが、「年」は時という意味のほかに、みのるという意味や穀物という意味も持っています。いうまでもなく、穀物の実りは季節の移り変わりと深い関わりがあります。そして第2回の講座で少し触れましたが、太陽と季節は極めて密接に関係しているわけです。

旧暦においては、月の満ち欠けが1ヶ月を構成していたことを前回確認しましたが、すなわちそれは月が地球の周りを1周する期間のことです。では1年というのは何かというと地球が太陽の周りを1周する期間のことです。その1周する間に変化する太陽と地球の位置関係が季節の変化となって私たちの生活に様々な彩りを添えてくれるわけです。

ところで、季節というのは春夏秋冬という四季のことですが、昔の人たちはそれぞれの四季をさらに6つずつに細かくわけた二十四節気という指標を活用していました。

順に書いてみますと、春〔立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨〕、夏〔立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑〕、秋〔立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降〕、冬〔立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒〕といった具合です。

この中で、春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃)は太陽が真東から昇り真西に沈みます。この日は昼と夜の長さが同じになる特別な日で、国民の祝日として休日になっているのはご存知の通りです。

二十四節気は、太陽が真東から昇る春分を起点と考えて、太陽が1年かけて移動する道筋である黄道という360度の円を15度ずつに分割して、それぞれのポイントに各時期ごとで特徴的な自然現象を名称として付したものです。

1年365日を24で割ると約15.2となり、太陽が15度の角度を移動するのにおよそ15日程度かかることになります。ですので、二十四節気は大体15日間隔で変化して行く季節の指標となります。

春分というのは昼夜の長さが同じになるので旧暦の太陰太陽暦以外の暦でもとても重要な日でした。私たちが現在使用している新暦を遡っていくとローマの暦に辿りつきますが、そこでは最初、春分を1年の始まりとしていたほどです。

ちなみに、現在私たちが使っているのはグレゴリオ暦という太陽暦です。この暦は16世紀にローマ法王だったグレゴリウス13世が制定したもので、そのためその成立過程ではキリスト教という宗教が大きな意味を持っていました。

グレゴリオ暦の前はユリウス暦という暦を使用していたのですが、その暦は太陽の運行との間に毎年約11分14秒の誤差が生じてしまうものでした。グレゴリウス13世の時代、ユリウス暦が制定されてから1600年近くの時が流れる中でその誤差は積もりに積もって10日近いものとなってしまっていました。

すると、キリスト教で最も大切な行事である「復活祭」を正しい日取りで行うことができなくなってしまいました。なぜなら「復活祭」は「春分を過ぎた後に来る最初の満月後の最初の日曜日とする」と決められていたからです。

ユリウス暦では春分は3月21日とすると決められていたので、実際の春分と暦の上の春分が10日近くずれてしまっていたわけです。

そこでグレゴリウス13世は1582年の10月4日の次の日を10月15日として、その間の10日間を暦から省きました。そうして、太陽の運行と暦のずれを調整し、今後のずれをより少なくするために閏年の定義を次のように改めました。

「西暦年が4で割り切れる年を閏年とする。ただし、西暦年が100で割り切れても、400で割り切れない時は平年とする。そして閏日は2月28日の翌日2月29日とする」

こうすることで太陽の運行と暦の誤差は年間約26秒にまで縮められることになりました。これが現在私たちが使用している暦です。

グレゴリオ暦は非常に分かりやすくて、しかもとても小さな誤差しか持ちません。しかし、年月を重ねるごとに太陽との関係は確実に薄れていきます。この辺りを、自然現象との関係性をダイレクトに暦として表していた太陰太陽暦と比べるととても面白いと思います。やはり私たちのライフスタイルや意識のあり方と時間の捉え方は大きな関係があるのではないかと思えるからです。(了)

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