講座001 時間、暦について考える

第2回 一ヶ月という単位

前回の講座では、現在とは違う時間の区切り方を1日という単位で見てみましたので、今回は一ヶ月という単位について見ていきたいと思います。

現在私たちは太陽の動きを基準とした太陽暦という暦を使用しているので、一ヶ月という時間は1年を構成するための単位のひとつといったくらいの認識の方もおられるかもしれません。

しかし、一ヶ月というのは読んで字のごとく、月がひとつということを表し、もともとは月が現れてそして消えていくまでの期間を1つのサイクルとして捉えたものです。

たとえば、私たちは一ヶ月の始まりの日を「ついたち」と呼びますが、これは「月立ち」という語の音便だそうです。つまり、隠れていた月が立って少しずつ姿を現し始める日という意味が込められているわけです。

また「ついたち」という読みを「朔日」という漢字に当てる場合があります。これは新月の状態を「朔(さく)」と呼ぶからです。反対に満月の状態を「望(ぼう)」と呼びます。藤原道長の「この世をば 我が世とぞ思う 望月の欠けたることも なしと思えば」という歌に出てくる望月(もちづき)とは望の状態の月である満月のことを指しています。

「朔」から「望」に至るのに大体15日、そして「望」から「朔」へも15日程度で移行します。新月から次の新月までの平均周期が約29.5日ですので、陰暦の一ヶ月は29日か30日で成り立っています。29日の月を「小の月」30日の月を「大の月」と呼び、陰暦ではこれらの月を組み合わせて12ヶ月のカレンダーを作っていました。

しかし、29.5日を12ヶ月分掛け合わせても354日にしかなりません。季節というのは太陽と深く関係しています。

すると、1年が354日しかない太陰暦と1年が365日の太陽暦では1年で10日以上もの誤差が生じてしまうことになり、何年か経つと太陰暦という暦と季節との関係が全くなくなってしまいます。たとえば、ある年の1月は冬だけど、別の年は夏なんてことになってしまうわけです。

それでは困るので、昔の人は3年に一度くらいの割合で余分な1ヶ月を挿入してその1年を13ヶ月にすることで季節と太陰暦の関係を保っていました。このように大体3年に一度挿入される余分な月のことを閏月と呼びます。

こうして閏月を入れて季節と月の関係を保つように工夫された暦を太陰太陽暦といいます。さきほども言ったように、太陽と季節というのは深い関係がありますので、太陽暦を併用した太陰暦ということでこのように呼ばれます。

太陽暦の19年分の日数と太陰暦の235ヶ月はほぼ一致しています。日数でいうと6939日ということになりますが、この周期で太陽と月が同期するわけです。その同期する日、太陽は1年で最も短くなり、月は新月を迎えるわけですが、昔の人たちはその日を「朔旦冬至」と呼んで大きく祝いました。

なぜならその日は月が新しく生まれ変わる日であり、またその日を境に太陽も日照時間が少しずつ長くなっていく復活の日だからです。昼と夜の空の主役が同じ日に復活を遂げるわけですから、昔の人たちが瑞祥吉日として大事にした気持ちもわかりますね。

しかし、そもそもなぜ昔の人たちは太陰太陽暦などという面倒なものを使っていたのでしょう。日本人は農耕民族ですが、季節を知るのであれば、太陽暦のみで充分間に合う気がします。

その理由は、電灯が整備され、スイッチ一つで遠くまで見渡すことのできるライトを持っている現代の私たちには上手く想像できませんが、昔の人々にとっては月がとても頼りになる夜間照明だったからです。

ただ、満月の日には相場が荒れたり猟奇的な事件が起こりやすいといった統計もあるみたいですから、太陽暦だけに慣れきった私たちには分からない何らかのリズムを昔の人たちは知っていたのかもしれませんね。

ちなみに昨年2014年は171年ぶりに旧暦9月の閏月があり、また朔旦冬至もあったという、とても珍しい年でした。暗いニュースも多いですが、同時復活を19年ぶりに遂げた太陽と月は何か明るい未来を予見させてくれる気がしますね。(了)

※ この講座「時間、暦について考える」は全3回のシリーズで行います。第3回は、3月にアップロードの予定です。

※ この講座の受講証書は、全3回が終了した後に発行を受けることができます。